極東ロシア(ウラジオストック・ユジノサハリンスク)視察(2001年9月2日~6日)

ゴルバチョフ元大統領のクーデター(91年8月)直後の91年9月と92年4月にモスクワを訪問して以来、私としては初めてロシアの地に踏み入れ、今回はウラジオストックとユジノサハリンスクを訪問しました。

訪問の目的は、現在のロシア・プーチン政権下において、日本と関係の深い極東ロシアの政治・経済事情を視察し、あわせて、日露平和条約に深い関係を有する北方四島問題の現状を把握するためでした。

【1】ウラジオストック
1.沿海地方第一副知事表敬訪問
2.沿海地方議会議長代行表敬訪問
3.日本センター視察
4.ウラジオストク商業港視察

5.第2市立病院視察
6.アルチョム日本人墓地墓参

【2】ユジノサハリンスク
1.サハリン州知事表敬訪問
2.サハリン州議会議長表敬訪問
3.市立病院視察
4.日本人墓地墓参

【3】その他の問題点

 
【1】ウラジオストック
 新潟空港からウラジオストック空港へは1時間半の飛行時間でしたが、ロシア製の機体は、15年前に乗ったソ連製機と変わっておらず、機内サービスも向上が見えませんでした。
 ウラジオストックに到着し、早速、入国手続きをしましたが、その手続きで1時間半以上かかり、極東ロシアのこの10年間の生産性向上があまり期待できそうもないことを実感させられました。
 市内の車の95%は中古の日本車であり、右ハンドルの日本車が右側通行で走る光景は、「珍しい」の一言でした。
 しかし、市内には日本のコンビニを大きくしたような店がいくつかでき、宿泊した日本とロシアの合弁事業ホテルは予想以上にサービスが向上しており、ここ10年間のペレストロイカ等の改革がわずかづつではあるが、進んでいることも確認できました。
1.沿海地方(人口222万人-日本の県に相当)第一副知事表敬訪問 
 本年5月に行われた知事選挙で、ロシア連邦政府に対立的だった現職知事が、38歳のダリキン候補に敗れる事態となりました。この新知事本人はモスクワ出張中で不在のため、知事が社長を勤めていた漁業会社の部下であった第一副知事と会談しました。
 プーチン大統領は、「強い国家」政策により、地方指導者への統制を強化していますが、この若い知事は、プーチン大統領の支持を明言しており、少なくとも表面的には連邦政府と沿海地方に政治的摩擦はありませんでした。
 私が、極東ロシア発展には日露平和条約が必要ではないかと尋ねたところ、副知事は、ロシアと日本のビジネス交流が活発になれば、平和条約が自然に締結されると答えたにとどまり、ロシア側から、積極的に日本のロシア投資を要望する姿勢は見られませんでした。ロシア人は、元々、生活水準向上のために、頭を下げて日本に投資を求めるという発想がない上に、悪い意味でのマイペースで自国の非効率な経済運営を行っており、中国で見られる経済成長のために一生懸命、投資を誘致するという姿勢は皆無でした。
 沿岸地方は深刻な電力不足であり、冬になると停電が頻繁に起こり、それが原因で、現職知事が敗れたともいわれています。この問題に対処するには、電気料金を引き上げるか、軍隊や民営化した企業に電気料金を当然に支払わせるかして、発電所の設備更新を行わなければなりませんが、沿海地方の行政はやや他人事のように、この問題について処置をしようとしているのが覗われました。
2.沿海地方議会議長代行表敬訪問
 議長は夏休みのため、議長代行他3名の議員と面談しました。「強い国家」政策の考え方を尋ねましたが、上記の副知事と同じ答えで、議会もプーチン大統領支持を明言していました。
 議員定数は39名であり、小選挙区制を導入しており、ほとんどの候補者が無所属的な県民党をアピールして当選しています(ちなみに、選挙を実施したのは1993年から)。
同じく議会人としての立場から選挙戦の情報交換を行いましたが、沿海地方議会は月曜から木曜までで、金曜は地元の仕事、土日は休みという状況で、日本の政治家よりゆとりのある生活習慣を大変うらやましく思いました。


3.日本センター視察
 旧ソ連には、現在8都市に日本センターを設置し、ロシア人等に、日本語教育や日本のビジネス・ノウハウを教えていました。訪問した当日は、日本語学級の初日であり、若いロシア人が熱心にひらがなの書き方を学んでいました。
 このセンターは、国際条約に基づく日本政府の対NIS諸国(旧ソ連邦)援助の一環として行われており、ウラジオストックの日本センターは、人件費を除くと、年間1万2千ドル程度で内容の濃い支援が提供できる、大変効率的な支援形態を視察できました。


4.ウラジオストク商業港視察

 92年から外国人に開放されたウラジオストック市は名高い良港でもあります。ウラジオストックにある3つの港(軍事港、漁業港、商業港)の内、商業港を視察しました。
 バースが17もある大変大きな港でしたが、港湾設備は老朽化しており、新しくバースを作る技術も、日本とは比較にならないほど原始的であり、当港の今後の競争力低下を懸念するを得ない状況でした。


5.第2市立病院視察
 1000床あるこの病院は、沿岸地方最大規模の病院です。医者の数は余る程いますが、医療器具,医薬品が決定的に不足しており、特に医療器具の設備は日本の20~30年前の設備を使っているようでした。CTやMRIのような高度な検査装置は全くなく、このため、老人医療には力を入れておらず、男性の平均年齢が56歳であることが実感できました。
 ウラジオストックでは総合病院は数少なく、その総合病院でも著しい財源不足により日本の診療所程度の処置しかできない状況のため、90年代後半に日本政府は人道支援として医療器具を供与してきましたが、まだ十分とはいえない状況にありました。

6.アルチョム日本人墓地墓参

 シベリア抑留日本人が眠る日本人墓地の献花を行うための墓参を行いました。約300のコンクリートのお墓があると聞いていました。第1回の遺骨回収団が訪問し、約100の回収は終わっているとのことですが、1ヶ月前の大洪水で、その一部が流されていました。10月に墓参団が再度遺骨回収に来ると伺っており、大変残念な災害に見舞われたことに心からお見舞いを申し上げます。
 
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【2】ユジノサハリンスク 
 ユジノサハリンスクには、本年3月に領事館が開設され、総領事等からサハリンの政治問題について伺いました。
当領事館が担当する問題は、北方四島の領土問題からサハリン天然ガス・石油プロジェクト等、外交案件が多いところです。訪問した9月4日の前日は、サハリン州で毎年恒例となっている第二次世界大戦の「対日戦勝記念日」でした。それだけに、他のロシアとは異なり、日本への反発と対抗意識が著しく強い地域であることを実感した。
 モスクワの連邦政府が領土問題を進めても、サハリン州当局は、現在でも領土問題の存在自体認めていません。本年4月19日の州議会では、3月のイルクーツク日露首脳会談でプーチン大統領が平和条約締結後の歯舞・色丹の引渡しを明記した56年の日ソ共同宣言の有効性を文書で確認したことに反発し、独自にロシア連邦の切り離せない領土であることを決議し、連邦政府に強く反発する意思表示をおこなっていました。そして、サハリン州議会がロシア下院の協力で9月に開く予定の「1956年日ソ共同宣言に関する公聴会」に、モスクワ政府関係者が欠席し、中央政府もサハリン州当局と対立傾向が強くなり、領土問題はロシア国内問題になっていることも覗う事ができました。
 このような状況の中で次の要人と会談しましたが、平和条約および領土問題は国家主権に関わるため、当然、ロシア連邦政府の主管であるが、実際の北方四島はサハリン州にあるという、極めて難しい状況下にあることを実感させられました。

1.サハリン州知事表敬訪問
 サハリン領事館開設時に、自民党の鈴木宗男衆議院議員が訪問して以来の日本国会議員の訪問となり、私の訪問に対して、その目的等、事前に州当局から問い合わせがあったようです。51歳と比較的若い2期目の州知事ですが、古い政治家というタイプであり、見かけは60歳前後と思われました。
 会談の始めに、州知事は公明党の名前は初めて耳にするため、どんな政党ですかと尋ねられ、私は公明党の結党の経緯、理念,連立与党における役割について説明しました。
 次に、私が以前から日本のエネルギー政策に関心があることを述べ、知事に対して領土問題には特に触れずに、石油公団,三井物産,三菱商事が出資しているサハリン・プロジェクトと呼ばれるエネルギー資源の活用について質問しました。
 州知事は、計画当初よりプロジェクトが遅れている面があるが、全体として大きな問題はなく事業が進んでいることを強調していました。また、私はサハリン・プロジェクトが進展し、サハリンの経済発展と日本のエネルギーの安定化に大きく期待したいと述べても、それに特に呼応するような態度は見せずに、淡々と実務的な説明をするだけでした(現地の外務省が対応しても、同じような対応のようです)。また、天然ガスは二酸化炭素の排出量が少なく、環境政策に重要であると問い掛けても、環境問題への関心は薄い素振りでした。
 次にプーチンの「強い国家」政策について意見を求めたところ、当日は地元マスコミも来ていたためか、州知事は、ロシアは連邦国家であり、中央連邦政府と州政府の調和・関係は大事にしていると言葉を慎重に選びながら説明していました。
実際には、領土問題を含め、連邦政府に相当の不快感を持っているようですが、それが中央に伝わることを恐れているのか、なかなか、かみ合った議論ができずに、最後に、再度私がサハリンに訪問する旨の約束を伝え、当初30分の会談予定でしたが、45分間の、私にとって消化不良となった会談を終えました。
 ウラジオストックでもそうでしたが、ロシア人と交渉する場合は、ロシア人独特の気長なマイペース・スタイルを理解しないと、日本人のせっかちな交渉では、こちらが根負けすることを体験した後の州知事との会談でした。今後は、いかに個人的な人間関係を深められるかが課題であると実感しました。


2.サハリン州議会議長表敬訪問
 27人定員の州議会の議長と副議長が対応してくれました。議長は63歳と、温厚そうな議員であり、エネルギー会社の関係者でもありました。
 私は、議長に対して最近の議会の重要案件はと尋ねると、給与未払い、雇用確保、製造業育成等、発展途上国特有の問題に苦労しているのが覗われました。
 次に私は、天然ガスは地球温暖化防止に重要なエネルギーであり、温暖化が進み、シベリアの凍土が融けだすと、凍土に含まれているブタンやメタンが地上に出てきて、さらに地球温暖化が増すと警告しましたが、州議員も環境問題に大きな関心を払いませんでした。
 全体として、平和条約に関することには触れなかったため、終始、儀礼的な対談となりました。
 一方、北海道議会との交流は頻繁に行われているようで、10月に再度、北海道議会へ訪問するとのことでした。


3.市立病院視察
 24時間救急病院、520床、医者140人、スタッフ950人(交代制)の病院を視察しました。ウラジオストックの病院とは異なり、医療設備も比較的近代的であり、これは日本の人道支援の一環として提供した臨床検査設備も含まれていました。
 このため女性の院長は大変なもてなしをしてくれ、このような人道支援こそが顔が見える支援であり、このような交流を通じてサハリン住民から領土問題を理解してもらえる、地道な草の根交流の重要性を再認識しました。


4.日本人墓地墓参
 広大なロシア人(朝鮮人も含む)墓地の中に、約10メートル四方の囲いがあり、その中にひっそりと日本人死没者石碑がありました。市当局が手入れをしてくれており、献花と黙祷をささげながら、平和条約締結の実現へ向け、決意を強くしたひと時でした。
 

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【3】その他の問題点
 ロシア極東は、日本の治安問題にとって,大変重要な地域となっています。先ずは、ロシア極東は日本の中古車の人気が高く、日本の暴力団とロシアのマフィアが提携し、不法に入手した中古車をロシアで販売し、莫大な資金を稼いでいるということです。
 また、ロシアで密漁されたカニやウニといった高級海産物が北海道の港に水揚げされており、ロシア政府側にとっては資源の枯渇と国家収入の損失の問題があり、日本の暴力団とロシアのマフィアの収入源になっています。
 さらには、日本・ロシア双方の犯罪組織の提携が進み、双方は最近、急速に日本の治安の重大な驚異となる銃器や麻薬の分野に進出しており、これらの動きに、ロシアと日本の取り締まり当局は、協力関係を早急に強化しなければならないことが認識されました。
以上


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