2002年1月1日~3月31日

【1】政局
【2】総務副大臣就任後の11日間
【3】国会報告
1.総務副大臣公務
2.出版活動――「地方公共団体再生工程表」刊行

3.政策活動
【4】地元活動
【5】後援会活動
1.連合若翔会活動
2.講演活動
3.FM鴻巣フラワーラジオ番組出演
4.ハレルヤ演奏会

【6】若松事務所および市民フォーラムの現況報告

 
【1】政局
 
 2002年幕開け早々、衆議院議員生活8年半で、総務副大臣としてはじめて閣僚入りの機会を頂きました。その公務の詳細は後述しますが、昨年まで、行政のチェック機能である国会の立場で活動していたのが、この日からは国会からチェックされる側に回り、従来の政治活動の内容は大きく変化するようになりました。しかし、「閣法」といわれるように、内閣(行政側)にも法案提出権があるため、総務副大臣としての政治のリーダーシップを発揮しながら、閣僚の立場で従来以上に様々な改革に挑戦しています。
 1月21日に召集された第154通常国会は、昨年末から顕著になってきたデフレ傾向と景気の悪化に歯止めを掛けるための平成13年度第二次補正予算の審議から始まりました。しかし、実際の審議は田中真紀子外務大臣(当時)と鈴木宗男議院運営委員長(当時)と外務省の言い争いに終始し、外務省の政治家と官僚の関係が野党の追及の的となり、その結果、予算が人質となったため、国会混乱の幕引きを狙って小泉総理は、28日に衆議院予算委員会で野党欠席のまま補正予算を与党3党で採決し、翌29日の衆院本会議での補正予算案の採決後の同日深夜、田中外相、鈴木議運委員長、野上外務事務次官3氏の更迭、辞任の発表となりました。
 しかし、野党は引き続き田中・鈴木両氏への国会証言を求め、ワイドショーを中心とする世論は、田中被害者、鈴木罪人、小泉非情の構図を鮮明にし、80%台の支持率だった小泉政権が一挙に50%前後に落ち込みました。合わせて、鈴木前議員の外務省を中心とする政と官の関係が予算委員会のメインテーマとなり、自民党からも鈴木氏離党の声が強まり、3月15日にあの涙の離党会見となりました。自民党の比例区当選者である鈴木氏は、次の比例区候補者にはなりえず、実質的に次期衆院選への出馬は難しくなり、鈴木氏の政治生命が終わった会見となりました。
 同時に、鈴木氏の疑惑追及の急先鋒だった社民党の辻元議員の公設秘書の給与を流用する事件が発覚し、辻元氏は議員辞職。同時に加藤元自民党幹事長も政治資金の個人流用が発覚し、予算成立後の4月以降の通常国会後半は、引き続き、鈴木、加藤、辻元氏等の国会証言等を巡って、政治倫理が重要な議題となってきました。
 一方、デフレ・景気対策の必要性を内外から求められ、経済財政諮問会議を中心としてその対応策を模索中の2月15日(ブッシュ大統領来日2日前)の会議には、片山総務大臣の代理として、小泉総理、福田官房長官、竹中・塩川・平沼の各大臣、速見日銀総裁のほか2名の官僚という少人数の会合に出席しました。当日、公明党としてデフレ対策を官邸に提出した内容を中心に、私も発言し、その内容の一部が2月21日付読売新聞(添付資料)で報道されました。
税制改革論議も急ピッチで行われ、課税最低限の議論から開始された税制改革の項目は、減税先行・中長期増税の方向性へと改革の骨組み議論が表面化する中、3月末の株価は11,024.94円(前年度末比17%安)となり、米国経済の強い回復基調が日本の経済にどのような影響をもたらすか、不安定な情勢が多い中、4月から6月までの後半国会に入ります。
 
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【2】総務副大臣就任後の11日間 
1.1月8日(就任日当日)
 平日より若干遅い午前9時45分に議員会館に到着し、早速、政策秘書と今後の段取りについて打合せを行い、皇居での認証式の順序、副大臣就任後の様々な事務・規制等の説明を受けました。
認証式は毎年1月1日、天皇への新年の挨拶の場所となる部屋で行われることになっており、その部屋への入室から退出まで8つのステップがあり、その伝統的な儀式を無難にこなすため、議員会館出発直前に約10分間、予行練習を行いました。
 その後、10時半に総務省官房長、キャリアの事務秘書官、その他3人から、副大臣としての日程等について説明を受け、今後の打合せを行いました。特に、この日の午後に行われる記者会見の100ページに近い答弁資料を渡され、読む時間もないことを知りながら、必要な場合に使う資料として受け取りました。
一昨年秋から総務委員会理事および部会長として総務省の課題については知悉していましたが、無いよりはあった方が良いため、この資料を参考に、記者会見のための発言要旨を作成しました。
 議員会館を出発する午後1時前までの間、大勢の支持者からお祝いの電話を頂き、同時に切れ目ない官僚および支持者の突然の訪問に追われ、この日の昼食は、サンドイッチを頬張りながら済ませ、首相官邸に向いました。
 午後1時に首相官邸に着き、他の新任副大臣7名と対面し、官僚から皇居での認証式の方法についてビデオを見ながら説明を受け、1時半に官邸を出発し、皇居に10分後に到着しました。そして、控え室で小泉総理と約30分間懇談し、2時半ごろ天皇の御名御璽(直筆の御署名と玉印)の官記(副大臣就任承認書)を小泉総理から受け取り、天皇から「重任でご苦労に思います」とのお言葉を頂戴し、3時頃首相官邸に戻り、8人の新任副大臣と総理、官房長官、官房副長官との記念撮影を行いました。
 そして3時半頃から官邸内で初の副大臣会議を行い、今後毎週木曜日の朝に行われる副大臣会議の内容の説明、昨年1月6日に閣議決定された副大臣としての倫理規定の説明等を受け、午後4時に総務省へ初登庁しました。
 総務省の1階では職員約100名が出迎えてくれ、今後、私の執務室となる7階の副大臣室に入りました。そこで、今までのモーニングから平服のスーツへと着替え、そこで、今後、総務省でお世話になる男性秘書および女性秘書の紹介を受け、初めて、副大臣の椅子に着席し、30分後に行われる記者会見に臨むための準備を行いました。
 4時10分にはマスコミの記者約30人が待つ部屋に、佐田玄一郎副大臣とともに入室し、佐田副大臣そして私の順で会見の挨拶をし、佐田副大臣は郵政事業の民営化について、私は衆議院の選挙制度について質問を受けました。
 記者会見を終え、副大臣室に戻り、前任者の遠藤和良衆議院議員との事務引継ぎを行いました。総務省としての現在の懸案事項を一冊の本にまとめた資料(厚さ約2センチ)の表紙に前・新副大臣の署名を行い、「事務引継ぎ」の儀式を終えました。
 その後、4時30分から総務省地下の講堂で、全職員約300名(うち女性の幹部は2、3名)を前に初訓示(新副大臣の職員への挨拶)を行いました。
そして5時半頃、ようやく総務省を離れ、当初から大宮で開催を予定していた、私主催の勉強会「グローバル・インターネット」に出席し、12チャンネルのビジネス・サテライトのレギュラー・コメンテーターである高橋進氏(日本総合研究所・調査部長)を講師に迎えて、約50人の参加者と2002年の景気動向について意見交換を行いました。
この勉強会は8時半に終了し、公明党大宮総支部最後(さいたま市が誕生したため、上尾以北の埼玉6区と分割し、この日が新年会と総支部最後の会合を兼ねた)の会合に出席し、11時頃帰宅しました。
 このように、1月8日の10を超える会合の内容および流れは前日までは知らされず、認証式当日からいきなり、戦争状態になりました。この日から、32万人を要する総務省副大臣の重責を担うことになり、生活パターンが一変しますが、全力で日本の大きな課題である地方自治の改革・活性化、行革の更なる推進、消防体制の強化等、全力で働いて参ります。

2.1月9日から18日までの10日間
 1月9日、総務副大臣就任の翌日、さいたま市で開かれた埼玉新聞社主催の新年賀詞交歓会に出席しました。その会に出席されていた土屋県知事も、私の総務副大臣就任を大変喜ばれ、席上、埼玉選出国会議員が総務副大臣になったということを紹介いただきました。夜は、恒例となっている総務省の局長以上の幹部との初顔合わせが行われました。官僚側からすると、いきなり見知らぬ政治家が上司として任命されるわけで、大変な緊張と警戒心を持って臨んでいます。ですからこの幹部との初顔合わせは重要です。幸いに、局長クラス30人と自己紹介を兼ねながらの懇談会は和やかな雰囲気で、大変有意義な初顔合わせとなりました。
 翌10日から、総務省の各局別の所管事項説明が始まりました。総務省は、旧自治省、郵政省、総務庁、消防庁などからなる大きな役所で、1局1時間としても12局2庁ある総務省の全体の把握のためには10数時間のレクチャーを受けなければなりませんでした。国会開会前の1月21日午前中までこのレクチャーが続きました。しかし、この1年半の党の総務部会長時代に勉強した内容がほとんどであり、説明もスムーズに私の記憶装置に入りました。
 所管事項説明を受ける中で「行政相談員」という制度があることを知りました。全国で約5千人の市民の方が、行政相談員として各市役所等で市民の行政に対する不満・相談等を受けていただいているのです。私の選挙区内の行政相談員の名簿を見ましたら、私の支持者がおられましたので、早速その方に電話をし、日頃の行政への協力の御礼、また現場での様々なご意見等を聞かせていただきました。この長い所管事項説明の合間を縫って、初めての決裁が持ち込まれ、説明を聞きながら、質問をし、慎重に決裁印を捺しました。
 翌11日は、宮家を訪問しました。副大臣人事は大臣と同様に天皇家から認証を受ける認証官です。その認証官は宮家を訪問し、就任報告の記帳をすることが慣行となっているのです。東宮御所の皇太子殿下、秋篠宮殿下、三笠宮殿下など8つの宮家を訪れ、総務副大臣就任のご挨拶の記帳に伺いました。あわせて議員会館の挨拶回りも行い、11、16、17日の3日間で、衆参国会議員732名全員に挨拶をしました。これから衆参両院での国会答弁が1年間で500回以上予想されるため、全議員への挨拶が大変重要と思い、全議員に挨拶をした次第です。
 そして3連休となった12~14日はいままで私を育てていただいた支持者等への御礼と報告の挨拶回りをさせていただきました。
 15日は宮中での歌会始の儀に陪聴人として参加しました。約1時間半の古式ゆかしい厳粛な儀式で、大変緊張もし、また不慣れな行事でもありました。毎年歌題が決められており、今年は「春」でした。その歌題を織り込んだ天皇皇后両陛下を始め、各皇族のお歌や入選した一般の方の和歌を伝統にのっとった発声と節回しで披露する様子を見ながら、この五七五七七はやはり歌だということに気づきました。その時に、私も和歌とはほど遠いかも知れませんが、副大臣就任の決意を歌に託してみました。
 「副大臣 民の期待大なれば 故に全力尽くす決意ぞ」
 16日は総務省幹部との懇談会が行われました。官僚側から約70名、そして大臣、副大臣、政務官が全員集合しての会でした。片山大臣は挨拶で、総務省のスローガンである「結束と挑戦」の意味を強調されていました。
17日には朝8時半から総理官邸で副大臣会議が行われました。会議の席上、迷惑メールの規制に関して、経済産業省が省令という大臣承認だけで業界に規制をかける省令を発表致しました。この迷惑メールに対する対策は大変重要な事項であり、国民への規制ということは、やはり法律に基づいて行わなければならないと私は思い、それがまたここ数年間の中央省庁改革基本法等の国会での議論の確認事項です。それを無視したやり方に対して、行革を担当する総務省副大臣として、私は経済産業省に注文をつけました。この日の午後は、総務省30年勤続の方々の表彰式に出席しました。
 18日は、全国知事会長でもある土屋埼玉県知事に就任挨拶を兼ねて表敬訪問し、様々なご意見を伺いました。午後は党の新旧部会長会議が行われ、この時点で私は党務を一旦離れることになり、総務副大臣の任務を全うする体制が完全に整いました。
 この10日間、私は就任挨拶等で約1500枚の名刺を配りました。大きな変化の中で新しい経験が連続した10日間でした。私は認証式において決意した国民への奉仕、そして地方の活性化等のため、全力で職務を全うしてまいります。

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【3】国会報告 
1.総務副大臣公務
 ①委員会答弁
 第1回目の答弁は、テレビ中継があった1月30日の参院予算委員会の総括質疑でした。その後、衆参の予算委員会では、片山大臣が出席できないときには、私が代理で数回答弁を行いました。
 予算委員会と総務委員会は大臣答弁が原則ですが、両委員会が同時に行われる時があり、その場合は質問者の了解を得て、大臣と私が振り分けながら、衆参両院の複数の委員会を掛け持ちしました。しかし、予算・総務委員会以外は副大臣答弁が原則となるため、3月までには、衆院では決算行政監視委員会、参院では行政監視委員会に出席し、3月までに、21回の答弁を行いました。
 従前は、すべての委員会質問の議事録を添付していましたが、膨大な量になるため、昨年通常国会から継続審議となっていた首長・地方公務員に対する住民訴訟制度を改正するための地方自治法改正法案審議(参院総務委員会)を行った、3月14日の自民党議員の森元委員との質疑応答会議録を添付します。
 ②決裁業務
 大臣政務官との違いは、政務官が行政と国会の連絡役としてのスタッフ業務に対して、副大臣は大臣のラインとして、大臣決裁前には必ず副大臣の決裁を得なければなりません。このため、副大臣の拒否権が発動できる仕組みとなっていますが、ちなみに、主要な大臣・副大臣の決裁文書は、次の通りとなっています。
 ●法律案、政令案、質問主意書に対する答弁書、法定白書等の国会提出案件、その他の閣議提出案件
 ●省令、訓令
 ●所管公益法人の設立許可、許可取り消し
 ●事務次官以上の外国出張
 ●指定職、政令職、審議会委員、特殊法人の役員の任命
 この他にも、様々な決裁事項があり、3月末までの3ヶ月弱で、148件の決裁を行いました。この中には、特殊法人等へ天下りした国家公務員の退職金3割カットによる年間20億円の経費削減策の決裁や、3月末に全国3,200自治体へ支給される特別交付税1兆2千億円の決裁等、重大な責任を感じながら、一件一件、慎重にチェックしています。
 ③副大臣出席会議
総務副大臣として、必ず出席しなければならない会合はいくつかありますが、その中でも主要なものについて紹介します。
 ●副大臣会議――毎週木曜日の朝8時(または9時)から、首相官邸内で、22人の全副大臣出席の下、様々な情報・意見交換が行われます。1月17日の副大臣会議では、迷惑メール規制について、経済産業省が省令規制を発表した報道について、私は昨年末からこの法案を議員立法で提出する動きを知っていたため、この場で「与党、経済産業省、総務省はよく連携すべきであり、経済産業省の独走的対応は効果に疑問あり」との趣旨の発言をし、会議終了後も、古屋経済産業副大臣と、早急に調整しようと打ち合わせを行いました。

 副大臣会議終了後は必ず総務省内で副大臣の記者会見があり、この時、副大臣会議での私の発言内容を紹介しましたが、私の発言が「迷惑メール規制に反対」という趣旨で日本経済新聞、毎日新聞に記載され、この事実曲解の記事が2ちゃんねるという日本最大の掲示板サイトで、更に盛り上げられてしまい、その記事に反応した方々による抗議メールが3日間で2千通以上、私のホームページに寄せられ、それだけではなく、プロバイダー会社にハッカーが侵入してデータ破壊を試みたため、急遽、ホームページを閉鎖せざるを得なくなりました。私も迷惑メール規制法案の早期提出に駆け回り、3月には経済産業省と議員立法の法律が閣議決定となりました。その後、プロバイダー会社から私のホームページ契約解除の要請を受け、新しいプロバイダーで新規開設をすることとなりました。私のケースのようなインターネット上の人権侵害記事の掲載を止めさせる「プロバイダー法」が今夏から施行となっており、今日まで迷惑メール規制に熱心に取り組んできた私が一番迷惑を被る事になり、現在のワイドショーを始めとする報道のあり方を真剣に考えざるを得ない出来事でした。
 副大臣会議には、いくつかのプロジェクトがあり、ワールドカップを成功させるための副大臣会議に、埼玉県が準決勝開催地であるため、私もそのメンバーとして、さらに、消防庁を所管する総務省の立場から、数回にわたって会合に出席しました。3月8日は首相官邸でFIFAトロフィーツアーの出発式を行い、小泉総理と関係副大臣、更には、トルシエ監督にも出席を頂きました。また読売新聞一面トップの扱いとなった3月23日には、このトロフィーが埼玉に届けられ、土屋知事の挨拶の後、総務副大臣として来賓挨拶の機会がありました。   

 ●総務省幹部会――毎月2、3回大臣室で総務大臣、副大臣2名、政務官3名、事務次官以下官僚6名の少人数による会議であり、当面の総務省の重要案件への対応方針、重要事項の情報交換等を目的として行われています。
 ●総務省省議――局長以上約30人により、省内の重要案件の情報交換を目的として、月2、3回開催されています。

 ④総務省関係施設視察
 総務省内の関係施設の視察も重要な公務であり、2月15日、私の姓と同じ地名である新宿・若松町の人事恩給局と統計局を訪れました。全国140万人の恩給を管理する事務がこの局で行われ、地下1階には恩給原票等の資料が置かれており、軍医であった森鴎外が日本最初の恩給受給者であることがわかりました。
 3月11日は、三鷹の深大寺近くにある消防大学校および独立行政法人消防研究所を視察しました。消防大学校では、大規模火災の際のコンピュータ・シミュレーション訓練に参加でき、翌日、延岡の工場火災が発生した際、消防庁幹部との連絡がスムーズに行きました。

 ⑤公式行事挨拶
 公式行事も、週最低2、3回あるため、代表的なものを紹介します。
 2月8日は、消防団員全国表彰式が行われ、私は小泉総理の代理で祝辞を述べました。
 2月10日は大阪に出張して、2年前から行われている合ケシンポジウムに参加し、大阪副知事、堺市長等、市町村合併に直接関係しているパネラーを前に、ディスカッションの前の主催者代表挨拶を行いました。
 3月16日は、東京大学の安田講堂で、ノーベル賞百周年記念国際フォーラムの主催者代表挨拶を行いました。私自身、東大構内に入るのは始めてであり、長年、政治改革で議論してきた佐々木毅東大学長とも再会し、学術面での情報収集に大変有益でした。
2.出版活動――「地方公共団体再生工程表」刊行
 国会議員9年目で私の4冊目の政策提言となる「地方公共団体再生工程表」が⑭ぎょうせいから2月中旬に発刊され、現在、小泉総理をはじめ総務省幹部や経済財政諮問会議の民間委員、地方制度調査会委員の方々に配布しています。この出版を記念し、4月5日午後6時半から、上尾駅の東武サロンで、公明党の神崎代表、片山総務大臣、石原行革担当大臣を来賓にむかえ、パーティを開催しました。


3.政策活動
 片山総務大臣の了解を得、私の副大臣室に2つの政策プロジェクトを設置しました。一つは、「税財源以上と地方税改革プロジェクト」であり、自治財政局と自治税務局の幹部数名と、税理士・公認会計士の勉強会メンバー数名が現在隔週1回の勉強会を続けており、4月下旬には論点整理を大臣に報告したいと考えています。河野太郎大臣政務官も関心を持たれ、このプロジェクトのオブザーバー参加を頂いています。他のプロジェクトは、「地方公共団体改革プロジェクト」であり、上記政策提言出版の内容をいかに具体化させるかとの観点から議論を開始します。限られた副大臣任期中に、多くの改革を行うべく、上記以外にもプロジェクトを発足させていく予定です。

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【4】地元活動
1.総務副大臣就任祝い
  1月8日以降、大勢の支持者・団体から祝福の機会を頂きましたが、一部のみのご紹介と致します。
 1月27日、旧大宮市の清水園にて、埼玉新聞社社長、テレビ埼玉社長等、埼玉県内の有力企業、団体関係者数十名の出席を頂き、埼玉新聞社社長自らの司会による、和やかな中にも、要望や意見交換の飛び交う祝宴を開いて頂きました。
 1月30日、確定申告が忙しくなる直前の税理士による後援会30名の会員から、大きな喜びをもって祝福して頂きました。
 2月14日は、連合若翔会主催の就任祝いを、北本市内で役員中心に300名弱の参加を頂き開催していただき、永年にわたる私の政治活動支援に感謝しながら、会場一体の慶びと次期衆院選勝利のための決意の会となりました。
 2月16日は、埼玉6区初めての企画となる、6区内の首長、議長、商工会団体等の政治・行政・団体有志約100名による就任祝いを開催していただき、私も、あらためて6区の発展のために頑張っていこうと決意した会合でした。
 2月24日は、上尾市内で、私を支援してくれている地方議員約50名の参加を頂いているフォーラム24主催の祝いの会を開催して頂きました。ちょうど3月議会直前であったため、今通常国会審議の重要法案の勉強会もあわせて行いました。
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【5】後援会活動
1.連合若翔会活動
 3月15日は、吉村連合会長の下、執行役員30名と、太田昭宏公明党幹事長代行・国対委員長から国政報告と、次期衆議院選挙体制をめぐる意見交換が行われました。
2.講演活動
 1月22日、上尾市青年4団体数十名による新春勉強会の講師に招かれ、私は「日本経済の課題と今後の展望」と題して、約1時間半に渡り、上尾市内若手経営者と意見交換を行いました。
 2月8日、TKC上尾支部が同じ税理士である私に講演要請があり、私は、今後の税制改正の方向性、デフレ・景気対策の内容等、中小企業支援対策中心の講演を行いました。
 3月21日、渡辺喜美衆議院議員の地元である那須において、地元の政治家、行政・団体関係者数十名に対して、市町村合併を中心に総務省の対応の説明と参加者との意見交換を行いました。

3.FM鴻巣フラワーラジオ番組出演

 「若松かねしげワイン&ミュージックサロン」の放送開始後1年が経ち、3月で終了することになりました。この間、私もワインを通じて多くのことを学び、リスナーからのご意見を楽しみにしながらパーソナリティを務めることができました。3月2日は、リスナーが10名参加してのワイン試飲会をフラワーラジオ本社で行い、フラワーラジオから、今後の番組出演要請も頂きました。

4.ハレルヤ演奏会
 3月10日、桶川市主催の第九演奏会のためのハレルヤ合唱団の結団式が行われました。私は、国会コーラス愛好会の副会長として、6月19日の国会チャリティーコンサートで披露するハレルヤを先行して練習していたため、男性参加者を代表し、約百数十名の前で、しっかり練習に参加することを決意表明しました。
 
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【6】若松事務所および市民フォーラムの現況報告
 昨年末は、参院選後から年末まで、資金繰りのやりくりで大変でしたが、多くの会員のご協力を得て、事務所の財政も安定化してきました。総務副大臣就任という大きな環境変化の中で、若翔会等を始めとする多くの市民フォーラム会員のご支援により、景気低迷の中での出版パーティにも積極的に協力を頂き、財政健全化に更なる努力をしています。
 本年、1月8日のグローバル・インターネットで、12チャンネルのビジネス・サテライトのレギュラー解説者である日本総研調査部長の高橋進氏を講師に迎え、2002年の景気動向の解説を皮切りに、2月25日は税理士・公認会計士による地方税財源問題と地方税の勉強会を行い、3月1日はSMECとアドバンスド・コアとの合同勉強会で、今通常国会の重要法案である、都市再生関連法案、土壌汚染防止法案、自動車リサイクル法案等の勉強を行いました。
 市民フォーラムは、3月末現在、個人会員164人,法人会員94社、合計258人(前回報告時より8人増加)の方々にご協力いただいております。総務副大臣として、従来以上に国政を担う責任感を強くし、市民フォーラム会員お一人お一人のご意見に真摯に対応してまいります。
以上
 
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