1955(昭和30)年8月5日、福島県石川町生まれ。座右の銘は「一生懸命」。尊敬する政治家・経営者は「上杉鷹山」。大学4年時に公認会計士2次試験に合格。中央大学商学部1978年卒業。公認会計士。税理士
   

〈監査法人時代〉

 
1978年監査法人トーマツに入社。  
1983年1月から1984年7月までシアトル事務所勤務  

1984年7月から1988年7月までロンドン事務所勤務。M&A日本企業担当

 

1990年9月から1991年1月までサンフランシスコ事務所で、国際M&Aの実務研修を受ける

 

1988年から1992年まで、国際投資コンサルティング部に所属し、国際経営コンサルタントの第一人者として活躍。

   

〈衆議院議員時代〉

衆議院議員 1993年7月から2003年10月まで、連続3期当選。

特殊法人等改革基本法、行政評価法等を制定。

総務副大臣 2001年1月から2003年9月まで就任。

三位一体改革の原案を作成。

1999年7月1日、世界の政治家事務所で初めてのISO14001の認証を取得。
 
   

〈公認会計士事務所〉

2005年11月、新橋に「若松公認会計士事務所」を開設。

同時に、「事業再生フォーラム」を設立(代表に就任)。

 
   

〈主著〉

「EU加盟国の税法」(共著、1990年4月、中央経済社刊)

「企業のリストラ」(共著、1993年6月、社団法人・商事法務研究会刊)

「ストップ・ザ・天下り」(監修,1997年10月、特殊法人ビッグバンチーム刊)

「政策不況−脱出への道筋」(共著、1998年2月、東洋経済新報社刊)

「私もとれたISO14001−環境先進議員の挑戦」(2000年3月、東洋経済新報社刊)

「地方公共団体再生工程表」」(2002年2月、ぎょうせい刊)

「財政会計改革工程表」(2003年7月、ぎょうせい刊)

「新・行財政構造改革工程表」(2005年3月、ぎょうせい刊)。
 
   
   
 
 
 
子供のころ、家業の倒産により紆余曲折の人生を送ることになったが、3つ違いの妹の面倒を見ながら、持ち前の頑張りと人なつこさで、思いやりと人と人との触れ合いを学んできた。
 
 
 
10歳のときに埼玉県川口市に転居し、県立川口高校を経て中央大学商学部夜間部に入学。
昼働き夜学ぶという時間的にも経済的にも苦しい状況の中、8000時間というもう勉強で、高校時代から目指していた公認会計士に独学で合格。
4年の時に2部学生としてはまれな現役合格を果たした。最愛の父はその合格を見届けるように翌年他界した。
 
 
 
大学卒業後、監査法人トーマツに入社。シアトル、サンフランシスコ、ロンドンなど通算6年間の海外勤務を経験し、国際系コンサルタントの第一人者として活躍。
日本に帰国後も、海外担当として、民主化に揺れるロシアや東欧諸国・EC統合など激動する世界を間近に見ながら、国際感覚を磨き、わが国と世界とのギャップを体感した。
またわが国で先進的な、環境監査の専門家として活躍した。
 
 
 
93年7月の衆議院総選挙(旧埼玉5区)に出馬し、見事初当選を飾る。
当選後は、外務委員会に所属して、旧ユーゴや、中東に展開するPKO活動を現地視察し、国連の明石特別代表と意見交換するなど、積極的な行動の中から今後の国際貢献のあり方を提言し、中東のゴラン高原PKOを実現した。
2期目当選後、本来の機能を発揮していなかった決算委員会の、決算行政監視委員会への改組を実現するなど、公認会計士の視点からの提案は、国政での説得力を発揮している。
また質問回数も、2期生では群を抜く78回に達し、質量ともにトップクラス。
議員立法も4本を数え、その立法能力は高い評価を得ている。
 
 
 
 
 
 
 
 
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