原発事故に見舞われた故郷・ふくしまに「確かな安心」を、子どもたちに「明るい未来」を。この信念で、希望ある復興に全力を尽くし、さらに「原発に依存しない日本」「新エネルギー先進国・日本」の構築を推進します。
巨大地震に備えて「防災・減災総点検」を各地で実施。笹子トンネルの天井板落下事故の教訓を活かし、老朽化した社会インフラを再構築する「防災・減災ニューディール政策」を推進。この公共投資によって雇用も創出し、地域経済も活性化します。
消費税が上がっても食品や生活必需品の税率アップを抑える「軽減税率などの低所得者対策」を実施し、家計の負担を減らします。
中小企業の支援策として、「金融円滑化法」を再延長。その上で中小企業経営者が、経営改善のノウハウを気軽に相談できる「ビジネスカフェ(仮称)」を設置します。また東北の発展に不可欠な農林水産業の発展のためにその従事者の相談窓口(例:農業の場合「アグリビジネスカフェ(仮称)」)を設置。さらにこうした産業の後継者育成を推進します。
東北の復興には全国・全世界からの観光客の誘致が、何よりの特効薬。そのために東北の豊かな観光資源を広く紹介し、観光客の誘致を図り、地域経済の発展を促進します。
若松かねしげは昭和30年8月福島県石川町に誕生。家業の倒産で苦しい生活を強いられるなか、親に代わって妹の面倒を見るなど幼い頃から人を支える大切さを感じてきました。そして、苦学の学生時代。昼間働きながら中央大学の夜間で学び、4年生のときに2部学生としては史上2番目となる公認会計士試験の現役合格を勝ち取りました。
平成5年旧埼玉5区から出馬し、衆議院議員初当選。以来3期を務め、総務副大臣としてムダ削減に全力で取り組んできました。この間、進行中の公共事業に対して監視の目が行き届く行政評価法の制定を実現。さらに特殊法人改革基本法を制定し、数多くの特殊法人を撤廃しました。その結果2兆8000億円のムダ出費をストップさせたのです。
東北元気アッププロジェクトリーダーとして「事業再生」「地域再生」等をテーマに東北各地で講演及びコンサルティング活動を展開してきた若松は、東日本大震災直後も被災地各地へ。復旧・復興活動に従事するなか、党の国会議員による「ワンストップサービス」となる「被災地復興支援担当議員制」を提案・実現し震災対応に全力で取り組んできました。震災で苦しんでいる人の中へ、若松は走り続けました。